【最新号TSJJ VOLUME5 NO.1】GOING DEEPER | 更に深く追求する

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【最新号 ザ・サーファーズ・ジャーナル日本語版VOLUME5 NO.1】

2015/4/10発売号 English Edition Volume 24 No.1

【L I N E R N O T E S / 解説 BY スコット・ヒューレット】

ぼくらサーファーは、それぞれが、自分らしく自分のサーフィンを楽しんでいるのだと思う。サーファーの水の中での行動には、それぞれ個人の性格や、個人の歴史、そしていままで得た個人の経験値といった、さまざまな自分が反映されている。だれかと海の中でセッションしたとしよう。すると、海の中での相手の行動を観察するだけで、彼の陸おかでの行動までが、かなり正確に把握できてしまう。海の中で反射的に反応するサーファーの、その衝動的な性格は、陸の上でもいかんなく発揮される。海の中でおだやかなサーファーは、パニックに陥らない方法を知っており、のんびりと地球を歩いている。ときには、海の中で陸での性格を引きずらずに行動するサーファーもいる。そんな連中は、じっさいにラインを走りだせば一目でわかる。彼らはパドルアウトするまえに、波打ち際でしがらみを棄て、自信をもって胸を張ってパドルすると、永遠にリフレッシュされた海の世界の中に、自分を駆りたてていくのだ。

ぼくにとって、サーファーが大勢集まる場所はあまり楽しめる場所ではないが、よく噂を耳にするこのサーファーという「部族」。ぼくはこの個人が集まった「ぼくたち」のなかに所属していることくらいは、よく自覚しているつもりだ。個人的なサーフィンライフの研究、それがプロフィールだろうが、回顧録やインタビューだろうが、その取材対象となるサーファーの、さまざまな経験にたいして、つねに正直に、アナログ的な繋がりをつくるようにしている。今号でも、いくつかその好例を挙げることができる。

ブリティッシュコロンビアのジェレミー・コレスキーの作品群。彼がポートフォリオに選ばれたのは、べつに驚くには値しない。彼の一連の作品は、おそらく撮影された場所がその意義を発揮する。岩だらけの半島、モミとトウヒの森、そして翡ひすい翠色のリーフバレルを突っ走るフードをかぶったサーファーたち。彼を紹介した筆者マルコム・ジョンソンは、ジェレミー本人と彼の三脚を合わせた5本の足が、カナダ太平洋沿岸のジャイアントケルプだらけの海岸を歩く姿は、すでに見慣れた光景なのだと語った。

 

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‘70年代からぼくらが意識しつづけてきたニューポートビーチのセミガン・シェーパーは、オージーに影響をうけ、エコービーチのパンクなショップ経営者となり、最終的には広告クリエイターとファインアーティストという仕事のなかに自分を発見したピーター・シュロフ。そんな彼を紹介するのに、ライターのジェミー・ブリシックほどピッタリのキャスティングはない。シュロフは現在も地元ベニスビーチで、新世代の若者たちに影響を与えつづけている。

今、最先端で活躍するサーフスターのポートレート?そんなものはほかの雑誌が徹底的にフォローしているので、彼らに任せておけばいいというのがTSJの考え方だ。しかしジェド・スミスが、あたかもパフォーマンス戦闘機のような真の最先端プロサーファー・アバター、ディオン・アジウスにページを割さくことは、ひじょうに本誌らしいアプローチだと確信している。

というわけで今号は、ひとつずつ性格の異なる、いろいろなタイプの人物を扱った。これはまるで短いストーリーが集まったバラエティに富んだ人物カタログだ。全員が、あなた同様青い壁を自由に走りまわることに魅せられ、そして報むくわれている、そんな人物たちだ。では、また60日後に会いましょう。
̶スコット・ヒューレット


【FROM THE EDITOR / 編集部より】

今号のオリジナルコンテンツは、鴨治淳子による東北のストーリーだ。宮城県牡おじか鹿半島沖の海底を震源とする、マグニチュード9.0という日本観測史上最大の東日本大震災が発生したのは2011年3月11日、午後2時46分。それから4年の月日が経ったが、私たちの心のなかにはいまだ大きな傷跡を残している。とくに地震の後におきた巨大津波は、場所によって波高10m以上、最大約40mも駆けあがったほどで、東北と関東の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。そして、この大地震とそれにつづく大津波によって福島県大熊町にある福島第一原発の1~3号機が水素爆発し、炉心のメルトダウンを引き起こし、膨大な放射能が拡散したことは、記憶に新しい。一説によれば、この事故によって大気中に放出された放射性物質はヨウ素に換算して90万テラベクレル(テラは1兆)といわれている。

サーフ・フォトグラファーでもある鴨治淳子は、震災直後には長年取材などで通っていた福島や宮城などの沿岸部が壊滅的な被害を受けた様子を流すTV画面を見るたびに、自宅で涙していたという。彼女の手元には段ボール箱一箱の東北の写真があった。当時、私はウェブマガジンの仕事をしており、引きこもり状態の彼女に連絡して「鴨治にできることをやったら」と声をかけたことが、今号のオリジナルコンテンツ『ひとひらの波』の端たんしょ緒となった。

 

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鴨治淳子がサーフ・フォトグラファーをめざしたのはいまから35年前のこと。当時、まだ高校生だった彼女はアート系の大学に入るべく勉強中、たまたま「サーフィンカメラマンという職業があるんだ」と興味をもったことがきっかけだったという。その後、日本大学芸術学部写真学科に入学したと同時に、学業の合間にサーフィン写真を撮りはじめ、『サーフィンワールド』誌(休刊)でフリーランスのフォトグラファーとしてキャリアをスタートさせた。そして、大学を卒業後、『サーフ1st』、『Fine』、『Warp』などの雑誌にアクションスポーツ、旅行、カルチャーなどの分野でフォトグラファー&ライターとして活動し、サーフィン誌ではおもに福島以北の東北を長年にわたって訪れ、撮影と取材を重ねてきた。

東京出身の鴨治淳子は現在、放射能汚染への影響を懸念して九州北西部へ移住しているが、それでも震災の翌年の2012年と2013年に福島や宮城などをおとずれ、撮影・取材を敢かんこう行している。また福島第一原発の3km圏内に居住していて被災し、現在宮崎県に避難・移住しているプロサーファー・山田祥允や彼の叔父の山田光昭にインタビューし、葛かっとう藤する被災者の胸のうちを書きつづった。鴨治淳子は言う「自分にできることをしているだけ」と。そして、写真集などの記録としてとりあえず残しておくことの重要性を考えている。

震災直後、私はオーストラリアに住むジム・バンクスから「放射能は大丈夫か?」というメールをもらった。アーティストであり作家でもあるエミリー・カーが「地球には継ぎ目などない。私たちはひとつの繋がりである」と書いているように、福島の原発事故による放射能汚染は日本だけの問題ではない。地球はひとつであり、海は繋がっている。鴨治淳子がエピローグで「あの震災はすくなからず、わたしたち日本人にこれからどう生きるべきなのか、考える機会をあたえてくれたのだと信じたい」と書いているように、被害者であり、原発の電力を享受していたという意味で加害者になってしまった私たち日本人ひとりひとりが、今、なにができるのかを考えていきたい。

ザ・サーファーズ・ジャーナル日本版では、東日本大震災から4年の歳月がすぎたいま、「うつくしき自然と豊饒の海、東北」に通いつづけたひとりの女性フォトジャーナリストの写真と文章を今号で取りあげることにした。
̶森下茂男