6月10日発売!最新号US版編集長のライナーノーツをご紹介

2005年。あのドル紙幣が飛び交っていた興奮のバブル時代。ソラノビーチにある寿司屋“SAMURAI”の暖のれん簾をくぐり、スシカウンターの席に座ると、おもむろに100ドル札をちらつかせて「お任せ!」なんていった経験が、もしもきみにあるならば、おそらくきみはクビをかしげ不適な笑みを浮かべながら客を品定めする竹井達男に遭遇していたはずだ。「この客はスクエアな客か?ヒップな客か?」。おそらく後者だと判断されたら、お任せメニューもOK。しかしそこからもまだハードルは高い。その客は「ウニはだめ、油っぽいサバはだめ」といった類の、文化を理解できていない無礼者か?_それとも単なる成金で、裕福さを印象づけようとしているのか?それとも自分の満足できない日常からすこしでも冒険するために、床に落ちているものでも口に放り込む無謀な輩やからなのか? 彼はこんなかんじで客を品定めしていた。竹井がふり返りざまおもむろに用意をはじめれば、きみは、彼がその直感で選りすぐった、新鮮な素材を使った極上のメニューを経験できる選りすぐりの客だったってことだ。

TSJJ_6-2_Fujisan彼は海の幸から、自ら発案のみごとなひと皿ひと皿をつくりあげ、独自のプレゼンテーションをおこなった。レストランは彼のファンで繁盛した。もちろん当時彼は、そんな板前という職業に真剣に取り組んでいたのだが、一方彼が、アメリカでもうひとつのことに熱中していたなんて、客たちは知る由もなかった。ロングタイムサーファーの彼は、リロイ・グラニスによるカリフォルニアのポイントブレークの黄金時代へ、磁石に惹ひきつけられるように魅せられていた。今号の竹井のポートフォリオは、彼から発信された、あの時代へのトリビュートだ。竹井の友人のデボン・ハワードが、カリフォルニアを舞台にした、竹井の写真家としてのタフなライフスタイルを紹介してくれている。 

今号のメイン・プロファイルは、カリフォルニアのポイントブレーク・サーフィンから大きな影響を受けたピーター・タウンネンドだ。オーストラリアの仲間、ナット・ヤングやマイケル・ピーターソンは、当時新しく生まれたオージースタイルを具体的に表現したが、公式には初の世界チャンピオンのタウンネンドは、ポイントブレークを愛してやまない自分のスタイルを貫いた。チーターファイブ、アーチ、一度左に大きくフェードしてから右に行くようなやり方で、完全にほかのオージーとは違った彼自身にプログラムされた技を披露した。クーランガッタの近所に住んでいたラビット・バーソロミューも同様だ。そんなPTのスタイリッシュなボディーランゲージのルーツは、スピードトリムのマット・キブリンまで遡さかのぼることができる。 

TSJq_6-2_Fujisanタウンネンドは、1970年代のサーファー=セレブ時代の到来を告げた当事者だ。彼はさまざまなレベルで成功を収めた。家庭にひとりでもサーファーがいれば、その家族全員が彼の名前を知っているはずだ。彼のザ・ブロンズド・オージーズは、ウォータースポーツとポップカルチャーのあいだの川を渡ることはできなかったが、デニス・アーバーグとジョン・ミリアスの映画『ビッグ・ウエンズデー』のおかげで、アメリカの内陸でも、彼らの姿は鑑賞できた。驚くべきことに、彼はあれが自分のピークだと、今も思っている。 それ以後、彼はプロモーター、オーガナイザー、イベンター、コメンテーター、コレクターとマーケッターと、いろいろな場面でがんばってきた。ピンクの服を着てカラフルに装う。最近のPTは寝る間も惜しいほど忙しいようだ。運命がうまくころがったのか、ぼくが業界のコンベンションなどに顔を出しても、いつも彼の姿を見かける。これだけは保証しよう。彼はサーフィン業界においていつも元気で、しっかりとしたポジションを維持しているので、ぼくにとってこの業界における安心材料になっている。 

無口ということからかけ離れたこの人物を、写真家のショーン・ドゥフレーヌは、その物語のためにあつらえたデコレーションで撮影した。ドゥフレーヌは彼が「THE INTERN」と名付けたこのセッションにトライした。ともすればそれは、ぼくらの眉まゆげ毛がつり上がるタイプのアプローチだったが、PTがフルタイムの秘書とどんなふうに関わるかが興味深かった。どうだい?ちょっと無理があったかな?もちろん批判的な人もいるだろう。もしかしたらモデルのロカビリー調スモークショーみたいな雰囲気に、バカバカしさを感じたかな? モデルのメーガン・フィリックスもまさにぴったりなキャラだった。しかしこの軽薄さは、彼女の演出以外のなにものでもない。動いている時代を受け止めてほしい。では、2ヶ月後にまた会いましょう。   ̶スコット・ヒューレット__