FROM THE EDITOR

tsjj_6-4_やサンセット、マカハのビッグウェーブに挑戦。翌年、ハレイワで初めてとなるサーフショップ、「サーフボード・ハワイ」を開いた。その店ではスキューバ用のタンクの貸し出しや、デューイ・ウエーバー、ハロルド・イギーのサーフボードを置いており、またディック・ブルーワー自身がシェープした主にガン・タイプのサーフボードも売りはじめた。その後、サーフボード・ハワイのガン・タイプのサーフボードが評判となり、ホビー・アルターのところでディック・ブルーワーのシグネチャー・モデル、“ホビー・ディック・ブルーワー・ガン”を製作したり、ビングでは“パイプライナー”というミニガンを発売し、また、軽量のピンテール、“デビッド・ヌヒワ・モデル”をシェープし、ボードビルダーとしての名声を築いてゆく。ロペスは『SURF ISWHERE YOU FIND IT』のなかで、また次のように書いている。「1967年の秋、カリフォルニアのビング・コープランドのもとでパイプライナー・シリーズを手掛けたディック・ブルーワーがハワイへ戻ると、状況は一変しはじめる。ブルーワーがアラモアナに持参した子供向けと思えるほど短いボードは、チームライダー、ゲーリー・チャップマンのために削ったパイプF RO M T H E E D I T O R今号のオリジナルコンテンツは2本、偶然にもふたつともシェーパーの話となった。まずひとつめはジェリー・ロペスによる「ディック・RB・ブルーワー」で、これは彼自身がシェーパーとしての道を歩むきっかけとなった師ディック・ブルーワーとの交友録である。そして、もうひとつが李リョウによるリッチ・パベルのシェープ哲学に切り込んだ「リッチ・パベルの即興」だ。 

ジェリー・ロペスのストーリー「ディック・RB・ブルーワー」は、この10月にパタゴニア出版からリリースされる『SURF IS WHERE YOU FIND IT』(ジェリー・ロペス著)からの抜粋だが、このなかで、ディック・ブルーワーがロペスのために削った8‘6“のミニガンが、ハワイにおけるショートボード・レボリューションのきっかけのひとつになったことを、その現場に居合わせた本人のリアルなストーリーとなっている。とくにオーストラリアのナット・ヤングとともにブルーワーの元を訪れたヴィーボトムの生みの親、ボブ・マクタビッシュとのやりとりなど、以前ナット・ヤングが書いた「Spark in a Revolution」(TSJJ6.1号)と併せ読むと、ハワイサイドから見たショートボード・レボリューションとオーストラリアサイドから見たショートボード・レボリューションと、大変興味深いものとなる。 

さて、このハワイのショートボード・レボリューションの中心的存在となった、本名リチャード・ブルーワーは、1936年、ミネソタ州に生まれた。彼が13歳のときに家族とともにカリフォルニアに移り、16歳でサーフィンをはじめる。このとき彼は、サーフィンのほかにラジコンの模型飛行機が趣味で、このラジコンの飛行機の操縦では全米のコンテストに出場するほどの腕前を持っていた。彼の才能を開花させたのは、熟練した機械工だった父親で、その後ろ姿を見て育ったブルーワーは、手先の器用さを生かして模型飛行機を自作している。バルサで制作された模型飛行機は、いかにスピードが出せてさらに操縦性能の良いボディーフォルムを追求しており、この模型飛行機製作のノウハウがサーフボード作りにも生かされていたと、のちに彼は語っている。1958年には彼は最初のサーフボードをシェープし、さらに1959年にはガン・タイプのサーフボードをもシェープしている。 

1960年、ディック・ブルーワーはビッグウェーブを求めてハワイへ移り、ワイメアライナーの縮小版だった。長さ8’10″のボードは当時のロングボードの基準を大きくかけ離れ、ショートボードの先駆けとなっていった」と。 

さて、もうひとつのオリジナルコンテンツが「リッチ・パベルの即興」だ。リッチ・パベルは、おなじ南カリフォルニアのシェーパー、スティーブ・リスが生んだフィッシュのコンセプトを発展させ、クアッド・フィッシュという新たなカテゴリーを築き上げたシェーパー・デザイナーだ。しかし,李リョウのインタビューでもおわかりのとおり、パベルはレトロツインフィンやスピード・ダイアラーなど、ボードデザインとフィンのマッチング、その関係の重要性に着目し、発展させてきたのだ。最後にディック・ブルーワーとジェリー・ロペスというふたりのシェーパーに言及したリッチ・パベルの言葉はサーフボード・デザインの奥深さを暗示していた。「ディック・ブルーワーはロッカーを最大限に活用してすばらしいサーフボードを完成させた。またいっぽうでは、ジェリー・ロペスがロッカーを最小限に抑えてサーフボードを完成させた。じつは、それもまたすばらしいサーフボードだった。サーフボードにはまだまだ謎が多いのさ」と。 ー森下茂男__