サーファーズジャーナル最新号25.4号(日本版6.4号)の目次紹介
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かつてTSJがひとりのサーファーにたいしてこれほどのページ数(32ページ)をさいて特集したことはなかった。なぜ、今、TSJがジョン・ジョン・フローレンスを取り上げるのか、それは彼の活躍ぶりを見ればご理解いただけると思う。
Look at John John!
「ジョン・ジョンを見ろよ!」
文:チャズ・スミス
すべてを巻き上げながら切り立つ恐ろしい波にたいして、なに食わぬ表情で淡々と波に乗る彼の姿は信じがたい!つまらなそうな表情に、努力の微塵も感じられない様子でパンプしたときのあいつのスピードを見てくれ!それはまるでレーシングカーやロケットさながらさ!セクションをヒットして、凧に乗ったかのように空高く舞い上がったと思えばしっかりランディングする彼の姿を見てくれ!そして信じられない高さからランディングを成功させる。その年齢ではあり得ないほどつねに冷静で、いつもクールな彼のサーフィン。クレーム(自分のスゴ技をアピールするような仕草)は一切せず、ナルコレプシー(睡眠障害者)の患者があくびをするかのごとくルースな彼のスタイル。そんな最高にクールなサーフィンを、いったい彼はどこで学んだのであろうか?
つづいて紹介する特集は、ジェリー・ロペスによるディック・ブルーワーとの交友録である。このストーリーはこの10月にパタゴニア出版から発売されるジェリー・ロペスの『SURF IS WHERE YOU FIND IT』からの抜粋だが、ハワイサイドからみたショートボード・レボリューションの様子が、シェーパーとしてのジェリー・ロペスとして書き記した貴重なストーリーとなっている。
RB
「ディック・RB・ブルーワー」
ハワイのショートボード・レボリューションを牽引したディック・ブルーワー
文:ジェリー・ロペス
サーフィンの未来を予見させるようなブルーワー・シェープの8’6″が登場して以来、その進化は止まることなく、サーフボードもライディングも、元の姿に戻ることはなかった。革命の火ぶたは切られ、わたしはその場に居合わせる幸運に恵まれた。
さて、シェーパーのストーリーは今号のキーポイントだろう。ランディ・ラリックがシェーパーの道を歩みはじめたきっかけが、ボード修理だった。そのとき付けられたニックネームが「スーパーパッチ」。以来、彼はいまでも「スーパーパッチ」なのだ。
Super patch
「スーパーパッチ」
廃棄寸前のログをランディ・ラリックが魅力的なダイヤモンドに磨き上げる
文:ベン・マーカス
写真:ジアンカ・ラザルス
ランディ・ラリックがいままで経験してきたさまざまなエピソードは一冊の本になるだろう。だがその彼の経歴の発端となったのは、子供の頃、サウスショアでサーフボードのリペアをスタートさせた当時に名付けられた彼のニックネームにある。「サーフラインの立ち上げは1964年。オープンと同時に店の裏にリペアショップも開いたんだ。私はそこで雇われて週末だけ働くことになった。それで“スーパーパッチ”というニックネームを付けられたんだ」
さて、もうひとつ、日本版のオリジナルコンテンツとして取り上げたシェーパーがリッチ・パベル。彼は、おなじ南カリフォルニアのシェーパー、スティーブ・リスが生んだフィッシュのコンセプトを発展させ、クアッド・フィッシュをという新たなカテゴリーを築き上げたシェーパー・デザイナーだ。しかし,李リョウのインタビューでもおわかりのとおり、パベルはレトロツインフィンやスピード・ダイアラーなど、ボードデザインとフィンのマッチング、その関係の重要性に着目し、発展させてきたのだ。映像作家・李リョウはこのストーリーでフォトジェニックな文章を紡いでいる。
Improvisation
「リッチ・パベルの即興」
サーフボードをハンドメイドでつくるマエストロふたり。イメージが先行するアートフルな作業は音楽のアドリブのようにリアクションする。
文:李リョウ
「いつのまにか私にはレトロフィッシュのゴッドファーザーというありがたくない呼び名がついてしまった。最初にそれを耳にしたときは思わず聞き直してしまったよ。“えっ、今、何ておっしゃいましたか?”ってね」とリッチは苦笑いをしながら首を横に振った。「確かに私は過去のツインフィンをモディファイしたが、それは作品のひとつにすぎないんだ。もちろんゴッドファーザーなんかじゃないし。私は自分のことをサーフボードデザイナーだと思っている」
Primordial Range
「永遠の山脈」
ローガン・マリーのコロマンデル半島の美しき原風景
文:ローガン・マリー
道路や建物はおろか人のつくった干渉物は一切なく、巨大なポフツカワの木や細く高いニカウパームが獣道を覆う太古からの森の果てに、その白砂の海岸はひっそりとある。人ひとりがやっと通れる細いトレイルを抜け、森から海に落ち込む急斜面の先で何千年ものあいだ、変わることなく割れつづける頭サイズのパーフェクトウェーブ。プロジェクトの撮影のために私は冬の数カ月間、ひとりでこの波を体験した。そして生粋のキウイ(ニュージーランド人)として、かつてこの国のすべてがこのような自然そのものだったのだということに、改めて気づかされる。キャプテン・クックが半島の鼻先をかすめて航海していった時代から変わらないこのビーチは、景色、歴史、生活様式において、ニュージーランドでもっとも原風景を残すサーフリージョンであるというのは言い過ぎだろうか。
Open Doors
「扉が開くとき」
カリフォルニアウォーターマンの残党、バド・ヘンドリックの半生
文:スティーブ・ペズマン
1960年代、バド・ヘンドリックの名前は仲間内でよく耳にしていた。ジャック・ヘイリーが、スペインで闘牛士をしているというその男について話していたのを覚えている。私の界隈では、ジャックはブラッキー・オーガストにつづく、グルのような存在だった。サーファーたちにとって闘牛は、チューブライドを表す鋭い隠喩みたいなものだった。ジャックさえも興味津々に語るヘドリックのことは、私にとっても気になる存在になっていた。
Leaving Home
「サーファーたちの旅立ち」
カリフォルニア、メキシコ、そして中南米のパーフェクトウェーブを求めて
文&キャプション:ケビン・ニュートン
写真:クレイグ・ピーターソン
‘70年代、世界に目を向けたサーフトリップが本格化した。そんなサーフトラベラーたちを世間では浮浪者か厄介者か脱落者か、もしくはそのすべての意味合いで見下していた。もちろん私たちにも、一般社会からクリーンなイメージで見てもらおうなんて意識はなかったけどね。サーファーの髪型にしても、クシを入れる時代は終わっていた。’60年代後半のショートボード革命は、取り返しのつかないほどの変革をサーフィンに及ぼした。もちろんライフスタイルやファッションも同様。ハリウッド映画によって定着したサーファーのイメージ、すなわち短髪の怠け者といったイメージはすでに終わり、ロングヘアーのラリパッパにとって変わっていた(これもハリウッドはショーン・ペンを使って定型化した)。