最新号(9.6号)のFrom The Editor -森下編集長最後の編集後記

今号のオリジナルコンテンツは、かつて天才サーファーと謳われ、こつ然とサーフィンの表舞台から姿を消した青田琢二のストーリーだ。話は一昨年の冬、私が抱井保徳と会ったときにはじまった。抱井は、青田のトリビュート(称賛として捧げるストーリー)をやりませんかと、私にそのアイデアを披露した。青田が平塚の海岸にブルーテントで生活しているという噂は前々から聞いていたし、そんな青田のいきさつや心情、現在の様子などを知りたいこともあり、この編集企画は進行していった。そして昨年の秋、平塚でおこなわれた佐藤傳次郎のスライドショーに青田が来るという情報をキャッチした私は、その夜、彼と再会を果たした。そして、本誌で掲載することを青田は快諾してくれたのだが、彼は携帯電話などの連絡手段を持っていないことから、連絡は第三者を通しておこなう以外になかった。本文でも登場する三島に住む元プロスケートボーダーの井澤正美の協力により、昨年暮れに数回にわたるセッションがおこなわれ、今回の特集が実現した。

現役当時の青田のライディングや雄姿を探すのは、簡単な作業だった。声を掛けたフォトグラファー全員から貴重な写真が集まった。さらに横山泰介が、青田の写真を撮りたいと願い出てくれ、平塚の青田の元を訪れ、撮影した。それが、今回の特集巻頭の見開き写真だ。また、平塚のサーファーでありサーフ・フォトグラファーの鈴木雄介ことU-SKEが平塚の大先輩である青田を慕い、継続的に写真を撮っていたことにより、この特集に厚みをもたらした。なによりも青田自身が自分の住まいの撮影を許可し、また場所の名前を出すことも容認してくれたことはよりリアリティが加わっている。そして、青田自身の過去や心情を素直に、そして洗いざらい話してくれたのである。それはまさに青田ワールドそのものであり、青田マジックワードがちりばめられたストーリーとなった。

井澤は、平塚から江ノ島までの海岸一帯には260以上のブルーテントがあると、衝撃的な事実を話してくれた。湘南海岸一帯に防風・防砂林として植えられたクロマツの松林は、ホームレスにとって雨露をしのぐテントを張るには絶好の場所であることも事実だろう。そんな彼らのなかのひとりとして、青田もまた行政にとってテイクケアの対象なのである。青田は「役所のほうから何度となくしつこいぐらい生活保護を受けるように言われてるんですけど、制約がけっこう厳しいらしくて、サーフィンもできないし…。生活保護のお金は税金なんで、ぷらぷら遊んでいるように見られてしまうんでしょうね。身体のほうは病院に行ってないからわからないけど、悪いところはないですね」と言う。市役所とは別にボランティアの団体がテントの中で病気や死亡してはいないか、チェックに来るという。問題は、市の委託を受けた団体の職員が生活保護を受けるようにしつこく勧誘に来るらしい。井澤が説明する。「生活保護を受けるんだったら、いっしょに市に手続きに行くし、前渡し金もくれるというような甘い言葉で彼らは誘ってくるんです。彼らは生活保護費を一括して受け取り、受給者には部屋代や食費などの経費を差し引いてあまったお金を小遣いとして数万円しか渡さない」。まさに聞きしに勝る貧困ビジネスである。

青田が、実家があった場所に住みはじめた当初、まだ松を植えて5、6年ぐらいしか経っておらず、青田の頭ほどの高さしかなかった。その半年後、単管とパネルで小屋を組んだとき、「邪魔な木を移植したら、市役所の人にすぐにばれたけど、“松を手入れしていてください”って言われたので、あっ、住んでいていいんだと思った」と青田は言う。その後、市の担当者は年に2〜3回のペースで青田の小屋を訪ねてきたが、「立ち退け」とか「出ていってください」などとうるさいことは一度も言われたことはないという。

私はこの平塚市の対応の背景に、ある疑惑を感じた。それはU-SKEが指摘した平塚市が近隣住民の反対を無視して推し進める海岸一帯の再開発プロジェクトだった。つまり、再開発がはじまったら、青田などの弱者たちはいとも簡単に強制排除されてしまうのだろう。うがった見方をすれば、いまは立ち退けなどと言う必要はないということなのだろう。ぜひとも注意深く、今後の成り行きを見守っていてほしいと思う。

さて今回、このTSJJ9.6号をもって私はTSJ日本版の編集長を退くことになりました。9年近くの長きにわたって、サポートしてくれたすべての関係者、読者の皆さまに感謝しつつ、これからもTSJ日本版のご愛読のほどよろしくお願いします。 
―森下茂男