追悼マイク・ドイル

アスリート・発明家・画家そしてなによりサーファーとして人生を全うした男

The surfers journal Vol2-2 photo by Craig Stecyk

マイク・ドイルはカリフォルニア、ルーカディアのレギュラーフッター。彼は1964年のワールドチャンピオンシップにて2位に入賞したことで知られているが、パドルボードから、タンデムサーフィンさらにビッグウェーブもサーフし、1960年代のベストオールラウンドサーファーと評価されている。1966年のイーストコーストチャンピオンのゲーリー・プロパーはドイルことを「誰もが彼のようにサーフしたくて、彼みたいにカッコよくなりたくて、彼みたいな着こなしをしたがった」とコメントした。

ドイルの生まれは1941年。ロサンジェルスの郊外で育った。サーフィンは13歳のときにマンハッタンビーチのピアで始めた。彼は最初の約3年間はグーフィーフッターだったが、1956年にマリブでサーフしてからレギュラーフッターに変更した。そしてたった2年で、大ヒットした映画ギジェットのスタント役としてサーフするようになった。(実際ののギジェト、キャシー・コーナー)

彼は卓越したアスリートとしてパドルレースやタンデムサーフィンで輝かい戦績を残している。サーフィンでは1964年のワールドチャンピオンシップで2位、1965年には6位、1966年のデューク・カハナモナクインビテーショナルで2位、1968年には優勝。1969年のペルーインターナショナルで優勝。1964年と1965年にサーファー誌人気投票で優勝。 1966年にサーフィン誌のホールオブフェームアワードで優勝。

彼はサーフィンの腕前だけでなくさまざまな発明でも有名となった。例えば60年代中期にサーフリサーチという会社を立ち上げて最初のサーフワックスを発売。また1974年にはスノーボードの原型ともいえるモノスキーを開発。さらにサーフボードデザイナーのトム・モーレイとモーレイドイル・ソフトサーフボードを発表した。これは現在のソフトボードの元祖である。

1980年代になるとドイルはメキシコ・バハのサンホセデルカボに移住しそこでサーフレッスンをしながら画家として生計を立てた。しかしゲーリック病として知られる筋萎縮性側索硬化症を発症し2019年に死去。78歳だった。

多くの話題をサーフィン界に提供してきたドイルは、サーファーズジャーナル誌のさまざまな記事に登場している。Vol2-2では画家に転身した彼の記事が特集で取り上げられた。最近ではサーフリサーチ社の顛末が書かれたVol8-1”Better Surfing Through Chemistry より良い人生の化学変化”や、病床のドイルへスティーブ・ペズマンが宛てた”EL MAESTRO”Vol8-5も記憶に新しい。